共にいた日々
春のような暖かさが永遠に続くと信じて疑っていなかった。
ぎゅっ、ぎゅっと降り積もる雪の上を歩けば何かを押しつぶしたような音が聞こえる。
まるで自分の心から溢れる感情を踏みつけているようでちょっとだけやるせない。
ラビはコートの衿に顎を埋めるようにして歩く足を速める。今彼が着ているコートは
ごく普通の黒いコートでありその胸に『神の使徒』の証はついていない。
彼は彼の行くべき道を歩んだのだ。表の歴史には欠片も出てこないであろう事実を
記録するために今のラビは存在している。
「雪…か。」
さらさらと空から落ちてくる白い結晶。手の平にのれば儚く消えてしまうというのに、
ラビの視界に映る全てがその結晶で覆われている。雪が降れば降るほどラビの心にずしり、と
重くのしかかり、どうせなら雪色に心が染まってしまえば楽なのに、と思う。
ラビは雪が嫌いだ。どうしても思い出してしまうから。何をしても思い出されるから。
心優しいあの人が逝ってしまったことを。
たおやかで儚く頼りない彼女を、たった一人で遠い旅に出させてしまった。最後の言葉も聞けず、
看取ることも出来なかったあまりにも無力な自分。報せを聞いて大急ぎで教団に戻ってきた時には
すでに彼女は何一つこの世に存在していなかった。アクマがどうやって作られるのか嫌というほど
わかりきっている。ラビと彼女の関係は教団内でも周知の事実であり、最悪の事態に備えて
ラビが帰還する前に、と手を打ったのだろう。だからラビは彼女の最後の顔を知らない。
最後の別れになると知らなかったあの時、次ぎに会ったら言いたいことがある、と告げたら、
”わ、私も言いたいことがあるの。だ、だから聞いてね?”
頬を赤らめながら言う彼女が愛しくてつい頬にキスを落としたら、からかわないで!と頬を赤く染めて
怒られてしまった。ごめん、と謝ったけど本気で謝っていないくせに、と拗ねられたけれど。
それでも、自分を見送る時は笑顔で送り出してくれた。気をつけてね、と言って。
あの優しい笑顔で見送ってくれたのだ。
ラビの心の中で愛しい人はいつだってあの時の花が綻ぶような笑みを浮かべている。
その微笑みは少しも褪せることなく、朽ちることなく、鮮明なまま。そして、
”ラビくん。”
耳に残る彼女の甘く優しい声。もう自分をラビと呼ぶ人は誰もいないけれど。
それでも彼の心の中の彼女はいつだってラビ、と呼ぶ。優しさと慈しみを込めた声色で。
数え切れないほどの名前を名乗り、色々な人にたくさん名前を呼ばれたけれど、心を
ざわつかせる声で呼ぶのは逝ってしまったあの人だけだった。
彼女を喪った後、幾度となく季節が巡りあの頃のように溢れ出るほどの情熱は最早失って
しまったけれど、だからといって彼女を想う気持ちが消えてしまったわけでもなく。
消えてしまえるような浅い感情なわけでもなく。ただひたすら、彼女を想う。
ほう、と吐いた息は雪と同化してしまいそうなほど白い。真っ白い景色の中、ラビの存在が
異質のように感じる。彼女への想いだけに身を任せられたらどんなに楽で幸せだろう、と
思うけれど自分には使命があり、彼女の為だけに生きることは許されていない。
ラビに許されているのは、彼女の死を背負い使命に為に生きることである。
ブックマンに心はいらない、と呟いたのはいつの日だったか。愛する人を喪ったあの日から
彼は生き方を変えた。ブックマンとしての使命の為に生き、そしてちょっと一息つきたい、
と思った時だけ彼女を想う。彼女のみを、彼女だけを。人としての心は全て逝ってしまった
彼女に捧げた。その結果、彼は深入りすることも嵌ることなく、傍観者として記録する術を
手に入れたのだ。
そうやって生きてきた彼の『心』を強制的に叩き起こすのが白雪である。粉雪のように
はらはらと降る雪を見るとどうしても儚げな彼女を思い出してしまう。抱いている想いと共に。
そして連なるように彼女といた日々を思い出すのだ。そのどれもが暖かい色に包まれていて
このままずっと続くかのような錯覚を感じさせる。全ては失われたものだというのに。
「―――――ミランダ。」
今は亡き愛しい人の名前を呼ぶ。当然、返事はない。
彼女を連れて行ってしまった雪に向かってラビはそっと囁いた。
「愛してるさ、ミランダ。昔も今も、そしてこれからも―――――。」
それを告げる前に愛する人は逝ってしまったけれど。
<終わり>
この先もずっと、静かに君を想うよ。