水平線の向こう



行きましょう。高らかに踵の音を鳴らして!!





あの日もこんな青空だった。見送らなくていいよ、と笑っていたあの人を
姿が見えなくなるまで見送ったあの日。旅だった彼の人は、みんなに『さようなら』を、
そしてたった一人にだけ『それじゃ、また。』と告げて行った。
それを言われたたった一人の人も、『またね。』と微笑んで彼の人を見送ったのだ。

「よいしょ…っと。」

クローゼットの上の方から靴箱を取り出す。箱をそっと開けると、そこには真新しい
黒のブーツが入っていた。それにそっと紐を通して床に置く。
次ぎにクローゼットから取り出したのは、ブーツと同じ黒いドレス。これも新品だ。
それに袖を通し、今度はドレッサーの前へ。

丁寧に髪を梳かして唇にマットなやや暗めの赤い口紅を乗せる。耳には振り子細工の
銀のイヤリングをつけて。櫛と口紅は小さな袋にいれてトランクに放り込んで蓋を閉める。
さっき箱から出したブーツを履けば、旅支度の完成だ。

「これで…大丈夫よね。」

鏡で確認して、一つ深呼吸をして椅子から立ち上がる。トランクと日傘を持って住み慣れた
部屋を出た。おろしたてのブーツはまだ革が固くてちょっと歩きにくい。それでも、 コツコツと廊下を反響させる音は、心なしか弾んでいるようにミランダには聞こえた。

彼が去った頃に比べ、この教団はすっかり人がいなくなった。教団の目的ともいえる
ものが、すっかり片づいてしまったからだ。近いうちにここは取り壊され、本部は
ヴァチカンに吸収されるという。あの頃、共に戦った仲間の幾人かは、故郷に帰り、また
新しい場所へと旅立ち、または能力を買われてヴァチカンへ異動していった。

それぞれの新たな旅立ちを始め見送ってきたミランダも今日、旅立つ。
僅かに残っている人達に挨拶をして。元気でといわれ、ふいに涙腺が緩んだけれど、
最後だから、と笑顔で挨拶をして建物から一歩出る。
振り返れば、ミランダが此処に初めて訪れた時と同じ建物が視界に映った。

色々なことがあった。数え切れないほど辛いことも悲しいことも。苦しいことも怒りも。
そして楽しいことも嬉しいことも、それこそ一生分と思えるようなことがあった。
ミランダは建物に深くお辞儀をした。ありがとう、と万感の想いを込めて。
そして前を向いたミランダは日傘を差し、トランクを持って歩き出す。約束の為に。

そう。それは、ミランダの愛する人がまだここにいた時、二人で約束を交わしたのだ。

”ねえ、ラビくん。”
”なに?”
”ラビくんが旅立つ時、私は一緒に行くことは叶わないけれど…。もし…。”
”もし?”
”全てが終わって…。私が何処へ行こうとも、何をしようとも、なんのしがらみもなく
何の束縛もなくなったらとしたら……探してもいい?”
”ミランダ…。”
”私、ラビくんを捜しに旅立ってもいいかしら?”

迷惑じゃなければ、とミランダが言うより早くラビは彼女を抱き締めた。強く、きつく。
そしてミランダの耳元で何度も何度もありがとう、と囁いた。

”待ってるさ。ミランダがオレを見つけてくれるまで。いつまでも、ずっと待ってるさ。”
”ありがとう、ラビくん。私…頑張ってラビくんを見つけるわ。だから待っててね。”
”ミランダが慌てると転ぶからゆっくりおいで。オレはちゃんと待ってるから。”

約束、と二人で絡ませた小指。あの日の約束はまだミランダの心の中で生きているのだ。
あの日、ラビが歩いていった道を、今度はミランダが歩く。大変なのはこれからだ。
なにせ、相手はどこにいるか全くわからないのだから。それでも、なぜか見つかる、と
ミランダは漠然と感じていた。理由はよくわからないけれど。

あの日と同じ青空の下、『それじゃ、また。』と言ったあの人との約束を守る為、
ミランダは力強く歩き出した。真新しい黒いブーツが応援しているように、コツコツと
音を鳴らす。ミランダの旅が今、始まったのだ。


「さあ、行きましょう!」


高らかにブーツの踵を鳴らして。目指すは水平線の下にいる貴方の側!!



<終わり>

急いで駆けつけるから待っててね?