もしもそれが正しいのだとしても


「はい、ミランダ。」
「ありがとう、ラビくん。」

書庫の中。ミランダが手を伸ばすより高い場所にある本を、ラビが背後から
取り出してミランダに渡した。それを受け取ったミランダは微笑んで礼を言う。
端から見て仲睦まじい、微笑ましくなるような空気を醸し出している二人だが、
彼らは恋人同士ではない。手に取り合える距離にいながら、決してその手を
触れ合うことはないのだ。

ラビがミランダを想うように、ミランダもまたラビを想っている。周囲もそれを
認めているし、二人の内心でも否定しようがない感情が募っている。
にもかかわらず、二人はこれ以上歩み寄ることはしないのだ。
二人の関係にヤキモキした仲間達が、お節介を焼いたことは数知れずあったが、
それでも二人は、やんわりと、そしてしっかりと断りをいれた。

そんな矢先、偶然にも談話室でラビと二人っきりになったアレンは、お節介を
承知でラビに尋ねた。どうしてミランダとつきあわないのか、と。

「そんなのアレンには関係ないさ?」
「そんなの百も承知ですよ。それでも敢えて聞いてるんです。このままじゃ、
リナリーにダークブーツで蹴り殺されますよ。」

冗談抜きで、と言うアレンの言葉にラビはそれを想像したのか、ちょっと顔色が
悪くなった。あーあ、と溜息を吐いて、すっかり温くなったコーヒーを口に含む。

「オレとミランダが納得してるんだから、ほっといて欲しいんだけど?」
「だから理由を尋ねているんですよ。正直言って、ラビがどうなろうが知ったことでは
ありませんが、女性が悲しんでいるのを放っておくのもどうかと思いますから。」
「…エセ紳士。」
「何か言いました?」
「いーえー。」

瞬間的に発動したアレンの左手を見てラビは降参と言わんばかりに両手を上げる。

「ラビとミランダさんが両思いなのは一目瞭然でしょう。それはラビだってわかっていると
思うんですけど?」
「まぁね。でも、両思い=つきあう、という図式じゃないだろ?」
「普通はその図式だと思いますが。」

「まあ、俺らの場合、普通からちーっとばかり外れてるからなあ。」
「そうですか?」
「そ。考えても見ろよ。オレは確かにエクソシストだけどその前にブックマンでもあるんさ?」
「わかってますよ。それがどういう関係があるんですか。」

「大ありさ。いついなくなるかわかんない男とつきあえなんて酷くねえ?」
「それは…。」
「”今”しか考えないならそれでもいいさ。でも、そういうわけにはいかないだろ。」
「…別れを前提にしたつきあいに意味はないと?」

だから今ある感情を押し殺すのか、と言外に問うアレンに、ラビは若いねえ、と笑う。
話をはぐらかされてはたまらない、とアレンはたたみかけるようにラビに尋ねた。

「この先道を分かつとしても、共にいた思い出は支えにはなっても邪魔にはならないと
思うのですが。…ラビは違うんですか?」

アレンの言葉に、ラビはいつもおどけた表情とはかけ離れた翳りを見せた。
そんなのはとっくにわかっている、と言わんばかりに。

「なあ、アレン。好きな女がいて、相手も自分のことを想ってくれてるとわかっていたら
普通は先に進みたいと思うもんだろ?」
「…まあ、男なら当然でしょうね。」
「だろ?その時は別にいいさ。惚れた女と一緒にいられて、抱き合えることができるなら
それはそれで幸せさ。この上になく、な?」

「”その時”は?」
「言っただろ?オレはいずれ此処を去る。何があろうとそれは覆されることはないんさ。
オレがどんなにミランダを愛していても、それは何の枷にもならない。」
「…。」
「付き合うのは簡単さ。抱き合うのも。それじゃ、その後はどうすればいい?」

「…その後?」
「付き合う幸せに浸って、肌を触れ合う悦びを知って、そして別れた後に訪れる孤独や
寂しさにどうやって向き合えばいいんさ?」
「それは…。」

「アレン。身体が覚えてる記憶って言うのは、意外と厄介だって知らんかった?」
「…。」
「ことあるごとに甦るんだぜ、その記憶が。そして感触が…さ。」

ふう、と溜息を吐き、一息ついた所でラビはさらに話しを続けた。

「オレだけならまだいいさ。自分で選んだ道だ。傷つこうが、辛かろうがどうだっていい。
けどな。ミランダは別さ。オレはミランダをそんな目に遭わせたくないし、させるつもりもない。」
「ラビ…。それじゃミランダさんの為に?」

アレンの言葉に、ラビは当然と頷く。全ては愛する彼女の為。今もそしてこれからも、
大切なミランダの為にラビは行動するのだ。

「アレンもわかっていると思うけど、ミランダはあんまり器用じゃないさ?
オレと付き合って…付き合っている時はいい。オレが守り抜いて見せるから。
けどさ。別れた後に守ってあげることはいくらオレでもできないんさ。

なまじオレと付き合ってそういうことを知ったら、一人に戻った時に絶対に
辛くなる。他人の温もりを知っているなら、その辛さはなおさらさ。」

ラビの視線が窓の下に移動する。アレンもその方向を見ると、中庭をミランダとリナリーが
歩いているのが見えた。二人とも花を抱えているところを見ると、花壇かどこかで
花を摘んでいたのだろう。楽しそうに微笑んでいる彼女たちを見ていると、自然と
こちらも頬が緩む。その時視線を動かさないままラビが、なあアレン、と話しかける。


「オレはミランダを傷つける為に愛したわけじゃないんさ。」


目を見開いてラビを凝視するアレンの方を向かずにラビは言葉を続ける。

「願うのはミランダの幸せさぁ。」

そう言ってミランダを見つめるラビの目はこの上なく優しい目で。
こんな表情をすることができたのか、とアレンは内心で驚いた。
ミランダを限りなく慈しみ、果てしないほど愛しているくせに、ラビがとった方法は
なんとも不器用な手段だった。

ミランダに辛い思いをさせたいわけではない。願うのはただ彼女の幸せだけ。
残念ながら、その幸せを自分が与えてやることは出来ないけれど。
それを歯痒く、また腹立たしいと感じてはいても、ミランダの幸せを願う気持ちに
比べたら微々たるものである。…自分の気持ちなどどうだっていいのだ。

「馬鹿ですね、ラビは。」
「…理由を聞いた感想がそれかい。」
「当然ですよ。そんなに抑えてばかりいて…。抑えて抑えて、そしてそれが抑えきれなく
なって爆発したらどうするんですか?」

大概、そういう爆発はよくない方向に行くものだ。そんな結末が見たいわけじゃない。
笑顔で別れろ、とは言わないが、他の方法があるだろうに。
けれど、アレンの言葉にラビは笑うだけだった。


「そん時には、もうオレはここにはいないから大丈夫さ?」


ラビのその言葉で、近いうちに彼がここから去ることを悟ったアレンは、ハッとなり
ラビを見た。けれど、ラビはいつもと変わらない表情を浮かべている。
そして否応無しにわかってしまった。きっとミランダもそのことを知っている。
アレンのその推測は何故か絶対の確信が持てた。

「ありがとうな、アレン。」
「ラビ?」
「心配ばかりかけたと思うけど、あともう少しだからさ。だから………。
だからもうちょっとだけ見守っていて欲しいんさ。頼むよ、アレン。」

アレンが何か言う前に談話室の扉が開かれ、そこに立っていたのはミランダだった。
ラビとアレンの姿を見かけてミランダがふわり、と微笑む。

「ここにいたのね、ラビくん。」
「ああ。書庫に行くんだろ?つきあうよ、ミランダ。」
「ありがとう、ラビくん。」
「どういたしまして。じゃあな、アレン。」
「アレンくん。また後でね。」

いってらっしゃい、と二人を見送り扉が閉められたのを確認してからアレンは深い溜息を吐く。
ここに誰もいなくてよかった、と思いながら。
先ほどの、ラビがミランダを、ミランダがラビを見つめる視線は確かに相手を想っている
ものなのに、それでも二人は見て見ぬふりをしている。

間近に迫りつつある別れを前にしても、二人はそれを匂わすことなく微笑みあっているのだ。
何をやっているんだか、と思ってみても、だからといって、抱き合うだけ抱き合って、そして
泣き喚けばいい、とは思えない。道は進むだけのものではないのだから。

「…本当に余計なお節介でしたね。」

二人の間に、誰かの意見が入る余地などないのだ。それでも、ラビとミランダが二人でいる
空気があまりにも微笑ましいもので、それがずっと続いて欲しいなんて思ってしまったから
だからついお節介を焼いてしまったのだ。大きなお世話だと百も承知で。
ずっと二人一緒でいて欲しいと願うのは、アレンやリナリーを始めとする周囲の”我が侭”だ。

そしてさらに、二人も同じ願いを持って欲しいと思ってしまったのだ。けれどラビとミランダは
それを受け入れず、彼らは彼らなりの願いを通し抜いたのだけれど。
いくら触れ合っていないとしても、それでも彼らが深く深く愛し合っているのは紛れもない
事実で、近いうちに訪れる別れに傷つかないわけではない。

それでもその傷が限りなく浅いものであるように、そしてそれが少しでも早く癒えるように、と
二人は今の関係でいることを決意したのだ。そんな二人にアレンはそっと祈りを捧げる。





どうかそれが正しい決断であるように、と心から願って。



<終わり>

幸せを願っているのもは君だけじゃない。みんなそう願っているよ?