君の笑顔が


そして、いつもの時間が流れる――――――。


いつもの自室。いつもの談話室。いつもの食堂。いつもの…教団。
それはここへ来てから変わらないミランダの日常の風景だ。
最初は目新しかった光景も慣れてしまえばいつものもの。
そんな中でミランダの心の中に確実に増えていくものがあった。


それは、屈託のないラビの笑顔だった。


同じ人の笑顔なのに、ミランダが記憶している笑顔は何一つ同じものはなく。
小さな花が咲き綻ぶように、少しずつ少しずつ増えていった。きっと、そのうち、

「両手に抱えきれなくなるわね。」

名前を知らない小さな紅い花を少しだけ摘んでミランダは笑った。
自分の心に咲く花も、手の中にある小さな花と同じようだけれど増えてしまったら
両手の隙間からこぼれてしまうことだろう。

「ミランダ。」
「あら、ラビくん。どうしたの?」
「部屋に戻るところさ。ミランダは?」
「私も部屋に戻るところなの。」

誘い合うこともなく自然と途中まで一緒に歩く二人。ミランダの手の中にある
赤い花を見て、ラビは花の名前を教えてくれたけれど、聞き慣れない単語は
ミランダの耳を滑り落ちてしまった。覚えられないわ、と少し頬を赤らめた
ミランダの頭をラビがそっと撫でる。オレが知っているから、いつでも聞いて、と。

そんなラビにミランダはお礼に、と小さな赤い花を差し出した。きょとん、と
しているラビにミランダは悪戯っぽく微笑む。

「名前を知っている人の側に置いてあげて。」

たった一輪の花。その小さな小さな赤い花にミランダは自分の想いを込めて渡した。
そんなミランダの決意など知らないラビは、屈託のない笑顔で、ありがとう、と
受け取る。花は数日ともたないうちに枯れ、何処かへ捨てられてしまうのだろう。
ミランダの想いと共に――――――。

自室に戻ったミランダは残りの花を小さな花瓶に生けた。ちょっと手を入れれば
それなりの日数は持つだろう。この赤い花が咲いている間だけ、とミランダは
そっと手を合わせる。花が咲いている間だけラビを想おう、と――――――。
たった数日間だけの恋。しかし、その間にラビはいなくなってしまう。

これで最後だから、とミランダはラビの笑顔を忘れないようにしよう、と。
いつでも思い出せるように覚えておこう、と小さな赤い花に誓いを立てた。
想いを告げたいわけじゃない。ただ、忘れたくないだけ。

その日の夜のことだった。
そろそろ寝ようかと寝間着に着替えたミランダが、灯りを消そうとした時、
コンコン、と小さなノックが聞こえた。ミランダが返事をする前に、

「ミランダ、ちょっと出てこれる?」
「ラビくん?」
「ちょっとだけでいいんさ。」
「…わかったわ。」

ミランダは寝間着の上にショールを羽織り扉を開けた。目の前に立っていたのは
旅支度を調えたラビの姿。目を見張るミランダにラビは苦笑を浮かべてそっと手を取る。

「おいで。」

そう言ってラビはミランダを外に連れ出した。満天の星空の下、ラビが立ち止まる。

「ミランダ。」
「…なぁに?」
「昼間の花、ありがとう。嬉しかったさ。」
「そう…。」

でも、その花を愛でる間もなく行ってしまうじゃない、と心の中で呟いたミランダの前に
ラビは小さな長方形の紙を見せる。

「それは…?」
「オレの宝物。」

その紙につけられていたのは、ミランダが自分の想いを込めてラビに渡した小さな赤い花。
ラビは小さな赤い花にそっと口づけをした。

「栞にしたんさ。これなら、いつでも身につけていられるから。」
「連れて行って…くれるの?」

私の想いと一緒に、と目で問うミランダにラビは少し悲しげな視線を向けた。

「ずっと決めてたんさ。出発するなら満天の星空の下にしようって。」
「それが…今日なのね。」
「そういうこと。本当ならジジィと二人で行くはずだったんだけど、オレはミランダと
話しがあるから先に行ってもらった。すぐに追いつけるし。」

「次ぎは…何処へ?」
「さあ?オレにもわかんない。面白い所だといいな、とは思ってるよ?」
「そう…。楽しい場所だといいわね。」
「うん。」

これから訪れる場所かどんな所が楽しみでしようがない。そんな空気をラビから感じ取った
ミランダは自然と口元を綻ばせた。それを見たラビもミランダに笑い返す。

「この花、大事にするよ。」
「ありがとう…ラビくん。」

ミランダの想いを一緒に連れて行ってもらえることが嬉しくて、優しく微笑むミランダと違い、
ラビはさっきとは違う苦しげな表情を見せた。突然の変わりようにミランダの笑顔も止まる。

「オレは…ブックマンになる男だから、流れ流れて生きていくのは当たり前なんさ。」
「え、ええ。知ってるわ。」
「古い名前を捨てて新しい名前を名乗っても、それでもオレはオレであることになんの
変わりもないって…何も変わることはないって………。」
「ラビくん?どうし――――――っ!!!」

苦しそうな表情を見せるラビにミランダが手を伸ばした瞬間、ラビは一気にミランダを引き寄せ
力任せに抱き締めた。一瞬、呼吸すら阻まれ苦しさに藻掻くミランダの耳元でラビが囁く。



「心残りなんて、何一つなかったんさ。」



ミランダの耳に聞こえた嗚咽の声は果たしてどちらのものだったのだろう?
ラビだったのか自分のものだったのかミランダにはわからなかった。

「ごめんなさい、ラビくん。星空の下で気分良く歩き始めるはずだったのに。それなのに…。」

私が”花”をあげてしまったから、こんなことになってしまった、と後悔の念に駆られる
ミランダの頬をラビがそっと包んだ。

「謝ることなんてないさ、ミランダ。」
「でも…。」
「お願いだから笑って。最後に見るミランダの顔が泣き顔なんて嫌さ、オレは。」

最後という言葉にミランダはピクリ、と反応しショールの端でごしごしと目を拭う。
それを見ていたラビは、赤くなっちゃうよ、と優しくミランダの手を止めた。
今にも溢れそうな涙をミランダは全力で叱咤する。泣くのは後でいくらでもできる。
けれど、笑顔でラビを見送れるのは今しかないから、と。

懸命に微笑むミランダに、ラビも笑う。それはミランダが大好きな屈託のない笑顔で。
ミランダは、心の中に咲いた小さな赤い花は両手ですくいきれないほど増えてしまったわ、と
気づく。たくさん増えすぎて、今にもミランダを飲み込んでしまいそうなほどに溢れて。

「私、こんなにもラビくんのことを好きになっていたなんて知らなかったわ。」

気づくのが遅いわね、と笑うミランダの額に、ラビはそっと口づけを落とした。
そんなことないよ、とでも言うような優しいキスを。

「オレはブックマンだから記憶力はいいんさ。だから…。」
「だから?」
「ミランダの笑顔も言葉も…あの小さな赤い花も全部ここに灼きつけたよ。」

そういってラビは自分の胸に手をやった。ラビの心の中で、ミランダの想いは小さな赤い花と
共に咲き続けることだろう。それはきっと、ミランダがラビを想うよりずっとずっと
色褪せることのない小さな赤い花――――――。








「…もう、ダメね。」

数日後、小さな赤い花は枯れてしまった。そしてこの花が枯れてしまう前に、愛する人は
去ってしまった。あの満天の星空の夜に。

”じゃあな、ミランダ。ありがとう。”

たったそれだけ残して一度も振り返らずに、小さな赤い花だけを連れて行ってしまった。
窓辺の花は枯れてしまったけれど、ミランダの心に咲く花はまだ鮮やかなまま。
そしてその花の向こうにある愛しい人の笑顔も何一つ曇ることなく―――そして。





そして、いつもの時間が流れる――――――。



<終わり>

私の想いを連れて行ってくれてありがとう。