叶うのならずっとずっと
私はまだ、恋を知らない。
正確に言えば、恋をする余裕なんてずっとなかった。それはリナリーが置かれている環境が
他の子と違って特殊だからであろう。けれど彼女は今さらその事にどうこう言うつもりはない。
そんな時だった。新しく教団にミランダという女性がやってきたのは。
リナリーがアレンと赴いた街で出逢い、そして彼女がイノセンスを持っていることを知り
彼女は教団にやってきたのだ。エクソシストとなるために。
女の人があまりいない教団だから、同性の彼女が来た時リナリーは本当に嬉しかった。
ちょっとドジで後ろ向きな、それでも優しい彼女が来てくれて。
リナリーはお姉さんができたみたいで、そしてミランダもリナリーを妹みたいに思って、、
だから二人はすぐに仲良しになれた。ずっとずっとこのままでいられたらいいな、とリナリーが
思った矢先、
リナリーはミランダの瞳に翳りを見つけてしまった。
最初はイノセンスの悩みかと思った。でも、違った。色々と考えているうちに、ミランダの瞳に
翳りを見つけるのはいつもラビといる時だと気づいた時、足元の床が崩れ落ちたような
感覚が走ったのをリナリーは今でもハッキリと覚えている。
思わず、リナリーはミランダに聞いてしまった。
「ねえ、どうして?どうして…ラビなの?」
「リナリーちゃん?」
「教団には他にも男の人はいっぱいいるわ。どうして…どうして?」
「ごめんなさい…私にも……よく、わからないの。」
「わからない?」
「そうなの。どうやってラビくんをその…、す、好きになったかなんてわからないわ。
ただ…気がついたら私の視線は…ラビくんのところで止まってしまったの。そしたら…。」
「そしたら?」
「とても痛かったわ、心が…。」
そう言ってミランダは胸の辺りにそっと手を当てた。心が痛い?どうしてだろう?
だって、リナリーが読んだことがある小説に出てくる女の子は、恋をするととても楽しくて
嬉しいと言っている。グレープフルーツのようにちょっと甘酸っぱい感じで
好きな人を見ると嬉しくて、ドキドキして仕様がないと書いたあったのだ。
ちょっとしたことで苦しくなることはあっても、心が痛いなんて言う子は誰もいなかった。
けれど、ミランダは痛いという。心が、とても。
「ねえ、ミランダ。」
「なに?リナリーちゃん。」
「どうして心を痛ませるような相手を選んだの?私、よくわからない…。」
「そうね…。私もそう思う時があるわ。でもね、私と同じようにラビくんも心を
痛ませているとわかってしまったの。その時にはもう、引き返せなくなってたわ…。」
そう言って、ちょっと顔を顰めて笑うミランダはリナリーの知らない『大人の女性』だった。
彼女はリナリーよりずっと年上なのだからそれは当たり前のことなのだが、彼女の周囲に
与える雰囲気は実際の年齢より遥かに下を思わせるのだ。だから、リナリーは彼女がそういう
年齢の女性というのをつい失念してしまっていたのだ。
「戻れないことを承知で進んだのよ、私達は。」
最後の複数形の言葉を示す相手は聞かなくてもわかる。ミランダは思慮深い女性だ。
そしてラビも年齢は自分と変わらないけれど、視野が広くとても聡明な男の子だ。
そんな二人が、何の未来も見出せない道に共に足を踏み入れたのがリナリーにはまだ信じられない。
だって、悲しい別れを前提にしたつきあいに、一体なんの意味があるというか。
家族にも等しい仲間が傷つく姿なんて見たくない。ミランダが動かないのでああれば、
ラビはどうだろうか?リナリーは藁にも縋る思いでラビに詰め寄った。
「ラビ、お願い!返して…お願いだから返して!」
「リ、リナリー?いきなりどしたん?」
「お願い…、ミランダの心を…返して…。」
いきりなり返して、と言われたラビは最初は驚いたが、ミランダの名前を聞いて
悟ったのか何も言わなかった。リナリーがひとしきり喚いた後、ラビはリナリーの頭をそっと
撫でて小さな声で謝った。
「ごめんな…。それだけはどうしてもできんさ。」
「どうしても?」
「どうしても。それができるくらいなら、ハナっから向き合わんかったさぁ。」
「ラビの…馬鹿!」
ラビの胸を両手でドン!と叩いた。でも、ラビはは何も言わず黙って立っている。
それはいつもおちゃらけていて、冗談ばっかりいっている、リナリーがよく知っているラビ
の顔ではなく、ちょっと苦しそうな、そう、前にミランダがリナリーに見せた翳りのある瞳で。
その瞳を見た時リナリーは、あぁ、と小さな声で叫んだ。
彼もまた、大人の男なのだと。リナリーが知っている『男の子』ではなくなってしまったのだと。
いつの間にか彼は大人の男へと変貌しており、苦味を含んだ瞳を見せるようになって
しまったのだ。ラビを変えたのは間違えなくミランダで―――。
リナリーが知っている二人は最早、全く知らない二人になってしまったのだと気づかされたのだ。
きっと、ラビは教団を去る時にミランダの心を連れて行ってしまうつもりなのだろう。
その代わりにミランダに自分の心を残して。互いの想いだけを残して二人は道を分かつのだ。
だからラビはリナリーに謝ったのだ。全てを受け止める覚悟があるから、心を与えたのだ、と。
ラビとミランダの双方に覚悟があるからこそ成り立つ関係だから、だから返すことはできない、と
リナリーにはどうすることもできず、またする権利もない。
でも、何か方法は、と問うリナリーにミランダは優しく微笑んだ。
自分達の為に一生懸命になってくれて、ありがとう、と―――。
そっと頭を撫でてくれたミランダの、白くて細い指を見ていたら、リナリーはなんだか
無性に泣きたくなってしまった。
きっとミランダはリナリーの、いや、誰の前でも泣くことはないだろう。
ラビが去った後も、一人静かにそっと涙を流すのに違いないのだ。
近い将来、必ず訪れる未来を想像したリナリーの瞳から涙が溢れ落ちる。
そんなリナリーを見てミランダが何か言ったような気がするが、
リナリーの耳には何も聞こえなかった――。
<終わり>
幸せになってもらいたいのに、どうしてこんなことになってしまったの?