広い広い世界
「わっかんねーことがあるんだけど?」
椅子の背もたれに顔を乗せる形で座っているラビは、書類に奮闘しているリーバーの
横顔に話しかけた。どこぞの上司と違い、生来真面目なこの男は少しも休むことなく
書類の山を片づけていた。
「なんだー?愛しの彼女と喧嘩でもしたのか?」
頼られると断れない兄貴分の性格ゆえか、書類を片づけながらラビの話しを聞くのが
ここ最近のリーバーの日課となっていた。
「そういうわけじゃないんさ。なんつーのかなー。」
「考えがまとまらないうちに相談してどうする。」
バサリ、と書類の束を引き出しに放り投げ、棚からファイルを引っ張りだしながら
リーバーは律儀に答える。ラビがミランダに片思いをしていたころから、似たような
会話を繰り返してきた。それゆえ、書類片手に聞けるほど慣れてしまい、
そのおかげで、ミランダと何かあるとリーバーに愚痴る、という図式がすっかりと
できあがってしまってのだ。
「リーバーだって昔はつきあった女とかいたろ?」
「昔…という言い方には引っかかるが…。まあ、それなりには、な。」
「まあ、俺らの中だから単刀直入に聞くけど、彼女とヤッた後ってどうなった?」
「は?」
「だーかーらーっ!!彼女とヤッ…。」
「ストーップ!!」
何を大声で言うんだ!とリーバーは怒ったが、当のラビは堪えた様子はない。
「なんで怒るんさーっ!」
「TPOを考えろ、TPOをっ!」
「別におかしい事じゃないさっ!ふつーの恋人同士ならあって当然のことだろっ!」
「そりゃそうだ。だが、ここで大声で言うことでもない。お前がそんなこと喚いて
いたというのをミランダが聞いてみろ?どうなると思う?」
リーバーに問われ、ラビの顔がサッと青くなる。どうしてそこまで、と思いたくなる
ような後ろ向き思考のラビの愛すべき彼女。ラビとそうなるだけでも卒倒しそうな
勢いだったのに、まさかそんな話題が繰り広げられているとしれたら……。
「だ、誰も…聞いて…なかった、よな?」
「多分…としか言いようがないな。」
「うわー、どうしよう。」
「…どうしよう、という顔じゃないな、それは。」
「まあ、知られたらそん時はそん時。どうにかするさ。で、さっきの答えは?」
「さっき?」
「だから、彼女とそういう関係になった後!」
「後ー?」
一応、心持ち小さい声で質問するラビに、リーバーは軽く天井を仰いで溜息を吐く。
「惚気なら他をあたってくれ、ラビ。」
「惚気じゃなくて!なーんか、その後のミランダの様子がおかしいんさ。」
「恥ずかしいだけじゃないのか?あれって一番恥ずかしいのは終わった後だろうが。」
「まあ、それはオレも同じだし、ミランダなら恥ずかしさのあまり…ってなっても
わからなくもないし、その辺は想像していたんだけど…。」
うー、と唸りながら椅子の背もたれに顎を乗せてふて腐れているラビの頭に、
リーバーはファイルをポン、とぶつける。
「照れているわけじゃないのか?」
「なんつーか、後の方が一線引かれたような気がするんさ。」
「線を?」
「そう。なんか構えたというか、なんというか…。どう説明していいかわかんないんだけど。」
なんて言えばいいのかなー、とぼやくラビを見て、リーバーはなんとなくだが、
ラビの言いたいこと、そしてミランダの行動というか考えがわかった。
…これが年の功ってヤツだろうか、と内心で溜息を吐く。
「まあ、あれだな。」
「なんかわかるんさ?」
「そうだなー。」
仕事しながら話すのも、と思ったのかリーバーはファイルを机の上に置き、すっかり
温くなったコーヒーを口に運んだ。そしておもむろに口を開く。
「体のほうはわりと早く許すけど、心はなかなか許さない女もいるってことだな。」
リーバーの言葉にラビはポカン、と口を開く。そして我に返り、リーバーに食ってかかった。
「どういう意味さ!」
「そのまんまだろ。」
「それって、ミランダはオレに心を許してないってわけ?」
「まあ、そういうことだな。」
大人ってそういうもんだぜ、と言うリーバーにラビは言葉を詰まらせる。
「誤解するなよ?別に彼女がお前に惚れてないってわけじゃないからな。」
「むー。」
「両思い+体の関係=心を許す、という図式じゃないだけだ。そういう関係になったからって
全てOKと思っているなら、それは浅はかな考えというものだな。」
恋愛はそんな簡単じゃないぞ、と頭を小突かれたラビは頬を膨らませて横を向いた。
「いいか、ラビ。女が大事に思うのは初体験だけだ。その場合なら、さっきの図式は成り立つ。
だがな、それ以外なら体より心の方が大事になるのさ。抱かれることに弱くてそれを
愛だと信じてしまうのは、どっちかっていうと子供だな。俺が思うに、お前の彼女は
そういうタイプとは思えん。体を晒すより心を晒す方が怖いと思う女だろう。」
リーバーはマグカップをコトリ、と机の上に置き、ポケットから煙草を取り出して火をつけた。
ゆっくりを煙を吐き、それが上に昇っていく様子をぼんやりと眺める。
「まあ、あくまでもオレの偏見と独断に満ちた意見だ。参考にするもしないも好きにしろ。」
「めっちゃ偏見さ。独断すぎね?」
「なんとでもいえ。よっぽどの物好きでもない限り、なんとも思っていない男に体を許す
女はそうそういないだろ。ただ…。」
「ただ?」
「よくありがちなパターンだが、つい流されてそういう関係になった後、この人のことが
好きかもしれない、という場合と、何か違うかも、ということになることも、ある。」
「へ?」
「女は基本的にそういう相手に対し、嫌な感情を持ちたくない、と思うことが多い。
それゆえ、前者のパターンに陥るケースが多いしそこからさらに一歩踏み込んだ関係に
なることも多々あるが、後者のパターンになったら、ちょっと大変かもな。」
煙草を灰皿の上で揉み消すと、リーバーは書類の山が積まれている机に向き直り、
さっき置いたファイルを開いた。
「だってそうだろ?そこまでいって、普通ならOKとなる場合でNOと言われるわけだから
ちょっとやそっとじゃ挽回できんだろうよ。」
「ちょ、ちょい待った!まさかミランダは…後者、とか言わないよな?」
冷や汗ダラダラのラビの質問に、リーバーは振り返りもせずに淡々と答える。
「どうだろうなあ。まあ、さっきオレが言ったのはあくまでもオレの考え。
お前の彼女がどう思っているかなんて知るか。」
「冷たいさ!!」
「体を許したわけだからお前のことは憎からず思っているだろうさ。けど、心は体ほど
簡単に開けるもんじゃない、ってことだけ覚えておけ。」
「あう…。」
リーバーは、すっかり顔面蒼白なラビの方を向き、さらに追い打ちをかけた。
「心と体は別って言うだろ?」
そういう関係になったからってゴールだと思うなよ、と言い放ち、真横でラビが唸っていても
何の返事もせずにリーバーは仕事に没頭し始めた。
これ以上、リーバーと話しても何も答えてもらえないな、と悟ったラビはふらつく足取りで
部屋を出て行く。頭の中は、どうしよう、でいっぱいだ。
扉が閉じられた音を聞いて、リーバーはペンを置く。
「悩めよ、若人。」
浮かれてるだけが恋じゃないぞ、とクックッと笑いながら再びペンを走らせた。
<終わり>
大変なことが多いのが恋ってヤツさ。